腎臓教室 Vol.16

災害時の利用~そのとき命を救えるか

今年の日本透析医学会は、6月18~20日に神戸のポートアイランドで開催され、その特別企画に、「医療と危機管理」―異業種間の新たなるネットワーク構築を目指して―と題してパネルディスカッションが行われ、同時に、10年前の阪神淡路大震災の時の救助の様子や、神戸の街の惨状、今後の災害対策未来像まで、ビデオやパネル、人工呼吸の練習用の実物大人形などを使って、災害と救命に関するさまざまな展示がされました。今回は、パネルディスカッションの一部をご紹介します。

震災の時、神戸は・・・

パネリストは透析医学会学術集会会長で、震災の時甲南病院副院長だった内藤秀宗氏、元内閣安全保障室長の佐々淳行氏、ブロードバンドの専門家である小野隆夫氏、神戸商船大学教授だった井上欣三氏、パスコグループの佐藤充氏、コーディネーターは、震災当時NHK大阪に勤務していて、当日スタジオにいた宮田修アナウンサー等が、当時のことを振り返りながら、将来に向けて、救命に有効な手段について話し合いました。

明け方に起きた震災に、神戸の人々はいったい何が起こったのか、よくわからなかったとか。頭の上をヘリコプターがブンブン飛び回り、見渡す限り、家が崩れ、マンションが傾き、あちらこちらから火の手が上がっていました。大きな爆発でもあったのか、着のみ着のままで外に飛び出し震えていたといいます。逆に、全国の人のほうが、テレビ画面を通じて、詳細な情報を把握していました。

テレビでも報道されましたが、フランスとスイスがいち早く救助犬を送ってくれました。ところが動物検疫の法律に阻まれ、救助犬の現場への到着は3日間先延ばしにされたのです。もし超法規的に、成田からすぐ現場へ救助犬が到着していたら、瓦礫の中から何十人の人が救助されたことか。緊急時の超法規的対応ができない日本の姿を佐々氏が指摘されました。

その時、腎不全患者たちは

血液透析をしている人達は、病院自体が被災しているため、自衛隊のトラックに乗って、姫路や大阪まで、何時間もかけて、寒空の中透析に出かけました。神戸港から船で大阪へ搬送すれば、すぐなのに…。またけが人を船で大阪へ運ぶこともありませんでした。ヘリコプターでの搬送も、後手後手に回り、わずかな人を運んだにすぎませんでした。

緊急時の備え、将来に向けて

神戸では6000人もの尊い命が失われました。これと対をなすのがニューヨークの9.11、貿易センタービルのテロによる被害。はじめ死者は7000人と報道されたのが、実際には3500人で済みました。これはトリアージュドクターの活躍の成果なのです。

トリアージュドクターとは、救助された人の治療に、優先順位をつける資格を持った医師のことをいいます。すでに亡くなっている人には「黒」の札を、助かる可能性のない人には「赤」、早く手当てをすれば助けられる人に「黄色」、自分で手当てをして病院に行ってはいけない人には「緑」の札を、素早くつけていくのです。

これはかつてナポレオンが、「1人を助けるために10人を死なせるな」という精神を受け継いでいるもので、医師に、絶大な権限を与えることで、少しでも多くの命を救おうというものです。

神戸では、病院にきた順番に手当てをしたため、かすり傷程度の人の手当てをしている間に、早く手当てをすれば助けられた命を失ったという悲劇も実際にあったといいます。日本でも、手当ての優先順位を指示できるトリアージュドクターの必要性を、内藤先生はじめパネリストの方々から指摘されました。災害はいつやって来るかわかりません。つねに万全の備えをしておくことの大切さを、このパネルディスカッションは、示唆してくれました。

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