体験談 / 一病息災 Vol.102

腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 松村満美子がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです)
  • PD

中野 桂子 さん(なかの けいこ:1954年生まれ)

10年間、腹膜透析を継続中!
食事をきちんと管理して自分にあった透析をしながらたくさんの趣味を楽しんでいます!
1954年3月生まれ。64才。30才のとき風疹で高熱をだし、たんぱく尿がでて、腎生検の結果、IgA腎症と診断される。47才でクレアチンが1.0を超え、2~3年で透析と診断されたため、身体のために退職。食事療法のかたわらさまざまな趣味を始める。54才で腹膜透析を導入し11年目。夫と2人暮らし。子供2人、孫5人。

患者さんの体験談~一病息災~ vol.102

できるだけ長くPDを続け、
今やっていることをすべて続けたい!

竹を割ったような性格という中野桂子さんは、「2~3年で透析」と診断されると、すぐに仕事を辞め、食事療法を徹底し、保存期を7年間保たせました。やりたいことを続けたいと腹膜透析(PD)を選択し、きちんと食事療法を続け、現在、PDを10年継続中です。夜間、自動的に透析液を交換するAPDで日中は完全にフリー、琴やマジック、華道など、多くのことにチャレンジしています。ご主人も昨年退職を迎え、ご夫婦仲良く、充実した日々を送っています。

在宅治療のPDで、余暇を満喫しています

中野 お年寄りや子供に喜んでいただいて、誰かのためになっていると思えるのは最高です。
松村 どうしてマジックを?
中野 透析になるかもしれないと診断されたとき、身体のことを考え30年近く勤めていた仕事を辞めたんです。時間ができていろいろ地域活動を始めました。そしたらマジックの講座の募集があり、主人と2人で参加したのが最初です。
松村 ご主人も一緒に?
中野 主人にも地域活動に参加して欲しくて、誘ったんです。
松村 お二人でなさっているのが素敵。いつも一緒なんですか?
中野 はい、主人は去年、退職したので、一緒にスポーツジムにも通っています。
松村 旅行とかは?
中野 日帰りが多いですね。自然の豊かなところが好きです。泊まるときは、腹膜透析の機器を車に積んでいきます。
松村 それなら、どこにでも行けますね。長期の旅行は?
中野 毎年、孫たちと一緒に2泊3日で河口湖に。そのときは機器をもっていきますが、主人の実家がある長崎に帰省するときは、メーカーから機器をレンタルしています。
松村 レンタルできるんですか?
中野 ええ、値段もそんなに高くないので便利です。
松村 習い事もなさっているとか?
中野 お琴は仕事をしているときからで、辞めてからお花や着付け、マジック、健康体操と習い事が増えました。
松村 ずいぶん忙しくて、毎日なにか予定があるのでは?
中野 木曜日以外は何かしてます。PDは在宅治療なので、いろいろできるんです。

2~3年で透析と診断されたのを7年保たせ

松村 腎臓が悪いことが分かったのはいつですか?
中野 30才のときです。風疹にかかり高熱がでて、そのあとたんぱく尿がでたんです。
松村 それで、どうしました?
中野 再検査をしても尿たんぱく3+で、腎生検を受け、IgA腎症と診断されました。
松村 すぐに腎生検をしたのは良かったですね。病院はどこですか?
中野 国立国際医療研究センターです。IgA抗体を溶かす薬をもらいましたが、頭痛がひどく服用を中止し経過を見ることになりました。橋本病の疑いもあるといわれたんです。
松村 膠原病の一種ですね。
中野 はい、それで腎生検の病理をやってくれた慶應大学病院に紹介されました。猿田享男先生に診ていただき、橋本病の疑いはなくなりました。
松村 どんな治療をしたのですか?
中野 3ヶ月ごとに通院し、血液と尿の検査が10年ほど続きました。その頃は、仕事と子育てで忙しくしてました。
松村 悪くなったのはいつごろ?
中野 40才を過ぎ仕事が忙しくなり、血圧が200まであがって入院したことがあります。でもそんなに悪くなることはなかったのに、47才のときものすごく忙しく、半年ぐらい病院にいけなかったんです。
松村 どんな忙しさだったの?
中野 ほとんど毎日終電近くで、それが何ヶ月も続きました。
松村 それは腎臓が悪くなくても大変でしたよね。
中野 めったに風邪をひいたことがないのに高熱がでて、久しぶりに病院にいったらクレアチニンが1.0を超えていて、「2~3年で透析」といわれました。
松村 それで、どうしました?
中野 身体を休めるには、仕事を辞めるしかないと、主人に相談もせず上司に話しました。
松村 すぐ辞められたのですか?
中野 承認されるまで3ヶ月くらいかかりましたが、辞めることができました。
松村 辞めてどうしたのですか?
中野 食事療法を始めました。
松村 具体的にどんな?
中野 たんぱく質を制限し、果物は缶詰、野菜は茹でこぼし、食べたものはすべてノートにつけていました。病院に頻繁にいき、検査値もメモして食事内容と比較しました。
松村 自分で全部計算して?
中野 栄養相談にも持っていき、指導してもらいました。低たんぱくごはんやパンも使いはじめました。
松村 低たんぱく食品にはすぐに慣れましたか?
中野 冷凍の治療食は正直いって口に合わなかったです。なので主食だけ低たんぱくのものにして、主人のおかずを少しだけつまむ感じにしました。
松村 例えば?
中野 マグロをほんの数切れ、漬けたれをちょっとつければ、低たんぱくご飯もペロッと食べられます。
松村 他に気をつけたことは?
中野 たんぱく質を控えるとカロリー不足になるので、揚げ物や炒めものなど、エネルギーを取る工夫をしました
松村 それで保存期はどのくらい?
中野 2~3年といわれていたのが、7年保ちました。

自分にあう方法が選べる腹膜透析を継続したい!

松村 透析導入したのはいつ?
中野 2008年です。3月に検査入院し秋に導入ということで準備を始めました。血液透析(HD)、PD、腎臓移植の説明を受け、その後も丁寧にフォローしてくれたので、納得する選択ができたと思います。
松村 それでPDにしたのですね。
中野 はい、2日に1回よりは、毎日透析するほうがいいと思いました。普通なら毎日お小水をするんですから。それに夜間に透析できることを聞き、今やっていることがすべてそのままできるから、「これだ!」と思いました。
松村 今、何年目ですか?
中野 11年目にはいりました。
松村 PDだと、5~7年でHDに移行する人が多いですよね。
中野 まだぜんぜん大丈夫だといわれています。
松村 それはすごい!病院は変わらず慶應ですか?
中野 自由が丘の柴垣医院に変わりました。慶應の先生が週1回いらっしゃるので。
松村 今はどんなことに気をつけていますか?
中野 たんぱく質や塩分、リンなど、食事には気をつけています。体重が増えると検査値が悪くなるので、体重を増やさないようにしています。
松村 PDだと食事制限はそんなに厳しくないのでは?
中野 PDでカリウムが抜けるので、生の果物や野菜を食べられるようになりましたが、ほかは保存期のときと同じです。
松村 食事療法をきちんとしているので身体の負担が軽くなり、PDを長く続けられるのかもしれませんね。何かトラブルはなかったですか?
中野 リンが高くなり、HDとの併用を検討したことがあります。
松村 いつですか?
中野 PDを始めて3年目です。
牛乳もヨーグルトもチーズも食べないのに、何かにリンがはいっていたんですね。
松村 それでどうしたのですか?
中野 いつの間にか治りました。
松村 ほかに問題は?
中野 6年目にカテーテルのトンネル部が感染し入院しました
松村 透析液を腹膜に入れるカテーテルですね。どんな処置を?
中野 2回ほど手術をしてもだめでしたが、カテーテルの位置を変えたら、その後は問題ありません。
松村 そうですか、今はどのようにPDをやっているのですか?
中野 夜10時頃から朝5時くらいまでAPDをしています。
松村 寝ている間に自動的に透析液を交換する方法ですね。夜だけですか?
中野 夜のほかに、夕方5時頃に手動で1回、朝も機器を外してから8時までお腹に透析液がはいっています。昼間はお腹を空っぽにして、身軽に活動しています。
松村 最初からそのやり方で?
中野 最初は手動で1日1回でしたが、2回になり、3回、4回と増えたので、1週間くらい入院して私に合うプログラムを組んでもらいました。
松村 PDにもいろいろやり方があるのですね。自分に合わせて決められるのはいいですね。
中野 そうなんです、今はできるだけ長くPDを続けられればと思っています。
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インタビューを終えて

「いい」といわれることは、徹底的に取り入れておられる姿勢に感心しました。カテーテルの出口部にシートを貼ってお風呂に入ることもできるのに、湯船につかったことがないという徹底ぶりです。頑張りも人一倍で、先日はスポーツジムで頑張りすぎて立てなくなってしまって、その時すぐご主人が助け起こしてくださったとか。インタビューのために協会の事務局に来てくださったのですが、ご主人もご一緒で、暖かい眼差しで奥様を包み込んでいらした姿が印象的な、素敵なご夫婦でした。

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