心に残る患者さん ~ドクターズエッセイ~Vol.114(2020年12月号)

ドクターが忘れがたい患者さんについて語るリレーエッセイ。
(先生の肩書は掲載当時のものです)

中元 秀友 先生   

埼玉医科大学
総合診療 内科教授

腹膜透析の自由度の高さ、満足度の高さを実感

 私が大学を卒業したのは1983年3月、すでに39年目になろうとしています。本当に沢山の患者さんに出会い、いろいろな経験をしてきました。心に残る患者さんは沢山います。今回は腹膜透析をおこなっていた患者さんのお話をいたします。いずれも実話で、私の医師としての人生に大きな影響を与えた方々です。

 研修医として配属されたのは慶應大学病院腎臓内科病棟の2号棟でした。指導医は小西先生という超ベテランの先生でした。初めて受け持った患者さんはKさんでした。慶應大学病院で初めて導入する(おそらく日本でも最も早い時期)腹膜透析患者さんで、渡されたのが英語の厚い説明書、読めと言われてもまったく判らず途方にくれたのを思い出します。先輩研修医、さらに指導医の先生方もわからず小西先生のやることをただ見ていました。当時は液交換のたびに手術着に着替えて完全滅菌の液交換をおこなっていましたが、これが腹膜透析なのだと驚いていました。そのKさんと10年後に埼玉の透析施設でお会いしたときは、さらにビックリしました。患者さんが若かった私を覚えてくれていたことも、本当に嬉しかった思い出です。二人目の患者さんは私が指導医として足利赤十字病院に勤務した時のSさんです。50歳代の上品な女性の方でした。慢性腎炎から腎不全になり、7年前より腹膜透析をおこなっていました。「なぜ腹膜透析を選んだのですか?」と聞いたとき、「主人が脳出血で自宅で寝たきりなのです。主人が自分では動けないため、私が透析に行く時間が心配なのです。何時でもそばにいてあげられるように腹膜透析を選びました。」と答えられました。その後2年半の留学に行って戻って来た時に、彼女は被嚢性腹膜硬化症(EPS)を合併しており、自分で高カロリーの点滴を毎日おこなっている状況でした。すでに一年以上そのような状況でした。久しぶりにあった彼女は禁食を指示されていたのですが、食べてはトイレで戻すことをおこなっていることをご本人から聞いて、また驚きました。理由を聞いたとき、「主人は私が一緒に食べないと、食事を取ってくれないのです。主人が心配しないように、苦しいのですが食べています」と答えられました。私は「腹膜透析をしたことを後悔していませんか?」と聞いてみました。答えは、「主人と一緒にいることができたのは、腹膜透析のお陰です。主人が喜んでくれる顔を見て、それだけでも満足です。一緒にいる時間を作ってくれた腹膜透析をしたこと、全く後悔していまん。」とはっきり言われました。感動して思わず涙ぐんでしまったことを思い出します。その数ヵ月後にご主人が亡くなると、その1ヵ月後に彼女も続くように亡くなりました。一緒に天国に行かれまた仲良く暮らしているのだと思います。

 私が腹膜透析の自由度の高さ、満足度の高さを強調するのはこの経験が影響しているためです。血液透析をしている患者さんとの思い出も沢山あります。また次回のチャンスがあれば、血液透析をおこなっている患者さんとの思い出を報告させて頂きます。

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