心に残る患者さん ~ドクターズエッセイ~Vol.91(2017年2月号)

ドクターが忘れがたい患者さんについて語るリレーエッセイ。
(先生の肩書は掲載当時のものです)

斎藤 明 先生   

東海大学医学部 客員教授、湘南東部総合病院 腎臓内科・透析センター長

腎不全で就職できなかった患者さんが、紆余曲折の末、一流の研究者に

 昭和45年から透析医療に携わり、多くの患者さんに出会いました。当初は健康保険本人以外の妻子は高額な透析治療を受けられずに亡くなられました。昭和47年に厚生医療に適用され、全ての患者さんが負担なく透析可能になりましたが、1回8時間治療、仕事後、午後6時から深夜2時までの透析、自家用車の普及前の時代、病院屋上の夏暑く冬寒いプレハブのベッドで仮眠し、朝6時頃に病院から会社に出かけ、頑張った皆様のお顔が浮かびます。その後徐々に透析技術も改善され、透析時間も4-5時間になり、患者さんの笑顔も珍しくなくなりました。そこで、約20年前からその頑張りに刺激を受けた1人の透析患者さんを紹介します。

 古薗勉さんは中学生時代から腎臓病で体育授業の制限を受けましたが、大学の卒業時には腎不全のため就職ができず、透析で通院したクリニックの技師として働いていました。しかし、もっと腎臓のこと、透析のことを学びたいと、東京女子医大透析センターに研修に出かけ、さらに鹿児島大学工学部大学院に入学、研究をしました。工学博士となって、国の海外研究制度に応募し、米国シアトルのワシントン大学バイオエンジニアリングセンターに留学しました。

 米国の血液透析費用は高く、古薗さんは直前に自己治療である腹膜透析(CAPD)に切り替え、バクスター社にCAPDバッグを実費で供給頂くよう交渉しました。1996年秋に渡米し、ワシントン大学で研究していた私と腹膜炎に罹患しないよう頑張ることを確認して研究を始めました。彼は大変頑張って3か月後にはセンター長の教授から”日本に帰らずにここで研究を続けないか。治療費も含めて私が負担するから。”と望まれました。しかし、国に帰って腎臓や透析の研究をおこなうことを決断しました。

 そして、筑波にある2つの国立系研究所で博士研究員(非常勤)として真剣に研究し、大きな成果を挙げました。39歳の時には、大阪の国立循環器病研究センター研究所の研究室長として就職することができました。透析歴13年の人が国家公務員として就職するのは極めて珍しいことです。しかし、CAPDで10年経ち、効率低下から血液透析に戻りましたが研究を推進する集中力が出ず、在宅血液透析に移行し頻回透析をおこない、研究への集中力が戻りました。その後、近畿大学工学部教授に就任し、教育と研究を進めるなか、献腎移植を受ける機会を得て、現在では益々充実した研究に、教育に邁進しています。

 古薗さんは、今年、血液透析、CAPD、腎臓移植を受けながら頑張った人生を「ののさま随想」と題する本として出されますので、ご一読頂ければと思います。

 
事務局より
古薗さんは当協会の理事にも就任していただき、松村満美子著『続・腎不全でもあきらめない』でも紹介されています。

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