心に残る患者さん ~ドクターズエッセイ~Vol.87(2016年6月号)

ドクターが忘れがたい患者さんについて語るリレーエッセイ。
(先生の肩書は掲載当時のものです)

飯野 靖彦 先生   

日本医科大学 名誉教授、医療法人やよい会 会長

ひとりひとりの患者さんに育てられました

 医師国家試験に合格してから40数年診療をおこなっていると、患者さんに教えられることがたくさんあります。現在の自分があるのは患者さん達のおかげだと感謝しております。そのなかには苦い経験、うれしい経験、人間として学ばせていただいた経験などいろいろあります。

 まず、苦い経験ですが、やはり研修医時代を最初に思い出します。日本で透析医療が始まったばかりで、東京医科歯科大学の腎臓内科(まだ第二内科の腎臓グループといっていました)では、越川昭三先生と中川成之輔先生が中心となって腎不全の患者さんの先進的治療をおこなっていました。研修医の僕が最初に受け持ったのは、関西の天理市から日本で数少ない透析施設である東京医科歯科大学に紹介された20代の盲目の糖尿病患者さんでした。その頃は糖尿病による腎不全患者さんは透析をしないのが一般的でしたが、医科歯科大学では新たな挑戦をしていました(米国では透析治療を受ける患者さんを地区の覆面委員会が選ぶ時代でした)。今では透析患者さんの一番多い病気は糖尿病によるものです。その患者さんの血清クレアチニンはすでに10mg/dlを超えていましたが、その頃はクレアチニンが20mg/dlにならないと透析を導入しませんでした(今は糖尿病が原因の場合には早めに透析導入をおこないます)。心不全・肺水腫のために呼吸困難が出現し、はじめて透析治療の許可が指導医からおり、腹膜透析を開始しました(糖尿病の患者さんは腹膜透析がよいと考えられていました)。CAPDは存在していませんでしたから、20本の重いガラス瓶を吊り下げて透析液を毎日作成し、夜中もつきっきりでほとんど睡眠時間もなく腹膜透析をおこなったのです。僕だけでなく患者さんも家族も疲れ果てたと思います。でも、すでに時遅く、2週間あまりの治療の後にお亡くなりになりました。自分と医学の非力さを、骨の奥に注射をされたように重い痛みとして感じました。それを糧に、自分の実力をつけること、医学を発展させることを目標に米国留学や移植医療や新しい治療法にチャレンジしたりしました。今でもその患者さんに心から感謝しております。

 うれしい経験は、若い女性の腎移植患者さんが移植後に生まれたお子さんを連れてきてくださったこと、おばあちゃんの患者さんに外来で、“先生は神様です”と両手を合わせて拝まれたこと、高校生のネフローゼ患者さんが医学部を受けて合格し、医師になり腎臓専門医になったこと、などなどたくさんあります。

 思い返すと今まで拝見したすべての患者さんのひとりひとりに思いがあり、それがすべて自分を育て、現在の自分になったのだと思います。感謝あるのみです。ありがとうございました。

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